第二部 三島由紀夫の死

序章 

千九百七十年十一月二十五日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて三島由紀夫割腹死。どのような理由をつけようと、自殺は敗北です。何を敵とし、何に敗れたというのでしょうか。彼の作品はその戦いの記録です。

人間にとって死は謎です。おそらくは永遠に。死後の世界について知ってしまうことは、この世の存在をおびやかし、生そのものを無意味なものにしかねません。科学の発展は多くの人々に死後の世界などないと信じさせています。しかし、真剣な科学者は死後の世界を否定できないでしょう。その存在が証明されないということと、その不在が証明されたということとは、まるで違うことなのですから。そして科学はこの世の存在さえ証明していません。生命を含めたこの世の大部分は原子からできていて、原子とは原子核の回りを電子がまわっているものであって、その原子核はおおむね陽子と中性子からなっていて、陽子と中性子はそれぞれ三個のクオークからできていて、そのクオークが何なのかは、結局分かりません。おそらくは永遠に。この世の存在を証明することは、この世の存在そのものを無意味なものにしかねません。

人間が宇宙から出られない以上、宇宙に外側はありえないということを百も承知しながら、宇宙の外側について考えてしまう人間は、何か訳の分からない力により、死後の世界としての宇宙の外側を感じているのかもしれません。仮に、死後の世界があるとしたら、それはいつできたのでしょうか。初めて人間が死んだときですか、初めて哺乳類が死んだときですか、初めて生命が死んだときですか。地球の生命の進化の一過程で、死後の世界が忽然と成立するということは、ちょっと考えにくいです。それならば、それは宇宙の始めからあったのです。

我々は四次元の世界に住んでいます。一次元、線、二次元、面、三次元、立体、それに時間を加えた四次元。四次元の世界に住む我々は、三次元の世界を見渡すことができます。しかし、四次元目の時間については現在しか知ることはできません。もしも五次元目が存在して、五次元の世界に住む生き物がいたとしたならば、その生き物は、四次元の世界を、つまり過去や未来を、見渡すことができるでしょう。我々が幽霊と出会う時、我々は、過去になくなった人が死後の世界で生きていて再び現れたのだと考えますが、幽霊の側では、この世に生きている間に未来の世界を垣間見た、と意識しているのかもしれません。我々は人生の三分の一を眠ってすごします。眠っている間にも脳は働いていて、その時どこで何をしているのかは、誰も知らないのです。このように考えると、やはり、死後の世界はない、ということになりそうです。体がないのに生きてるなんてなあ。まあ、あまり考えないほうがいいでしょう。この世が存在するかどうかも知らない我々は、この世であたふたと暮らしていて、ときに、この世ならぬ存在を感じふと立ち止まるが、すぐに忘れてまたあたふたと暮らしている。これくらいしかできなくて、これくらいで充分です。

人間は写真機を発明しました。写真機の発明により、見られなかった世界を見られるようになりました。二次元の世界、モノクロームの世界、時間の止まった世界、過去の世界、遠方の世界、それから心霊の世界。心霊の世界以外の世界は絵画で代用できなくもないことを思えば、写真機は心霊のために発明されたのだと考えられます。最近急速に普及しているデジタルカメラは写真の加工が容易なので心霊写真には向きません。信頼性に欠けるのです。従来の写真機がデジタルカメラに対抗して生き延びるには心霊対策が急務でしょう。心霊の写りやすい機構、心霊の写りやすいフィルムの開発が待たれます。三倍心霊写真が写る(当社比)。単なる動物霊が落武者の霊に、行倒れの地縛霊が地獄の大魔王に、ああ、なんてお得。写真に写るからには霊には何か物理的な実体があるのだと考えられますが、人間にまだ知られていない物質がさらに存在するとは考えにくいので、ありふれた物質が何らかの特殊な並び方をした場合に霊として写真に写るのだと考えておきましょう。でも、一体何のために?運動会で孫と一緒に走っているじいさんの心霊写真をTVで見ました。離れ離れに暮らす双子が、同じ名前の女性と結婚し、生まれた子供に同じ名前をつけていたという話をTVで見ました。これなども、遺伝子にそんなことが書き込まれているはずもなく、二人に同じ霊がついていたとしか考えようがありません。死後も運動会に出たり、子に名前をつけたりできるのならば、その外にも色んなことができるんだろうから、死んでもへっちゃらかしらん。心霊たちは、捕まえられたら困るのだが、忘れられたらさらに困るらしくて、時々顔を出します。 

人間にとって死は謎ですが、三島由紀夫の死はさらに謎です。みずから死を選ぶとはいえ、たいていの場合は、精神的な病による病死か、凶器として本人の手を使った他殺だと考えられます。しかし、三島の死はそのどちらでもありません。謎、謎、謎。まあ、謎はいっぱいありますから、分かっていることから話を始めましょう。死について我々が知っている明白な事実、それは、ある個人の死の後にもその個人以外の世界はなんら変わることなく存在を続けるということです。当たり前だろうと思うかもしれませんが、この事実が人間にとって当たり前でないことは、かくれんぼを始めた幼児を見れば分かります。幼児は自分の目を手でおおって自分から他人が見えなくなったときに、他人からも自分が見えなくなっただろうと思っているのです。みずからの誕生の記憶があると主張する三島が、自らの死の後にも存続するだろう世界についてどんなことを考えていたかは想像に難くありません。憎んでいたでしょう。希望を捨てれば絶望も消え、愛を捨てれば憎しみも消えるというのに、私が死んでもあなたは生きてるですって? 冗談じゃないよ。

戦争による、自らの死と同時に滅ぶ世界を夢見て果たせなかった三島は、小説により、自らの死と同時に世界を滅ぼすという暴挙に打って出ました。三島の死後に生きている我々は、本当に生きているのでしょうか。三島はそう思っていません。いまだに三島の死についてなんだかんだと意見が飛び交い、本が出版されたりします。三島に葬り去られた我々は、生きている自分を取り戻すために、三島の死について語らざるを得ません。さあ、三島の死の意味を明らかにしましょう。彼の死は、彼の小説です。

小説人間欲目次 第二部第一章 『只ほど高いものはない』