第二部 三島由紀夫の死

第一章 『只ほど高いものはない』

三島由紀夫の死は人間に対する異議申し立てです。

三島は人間が嫌いでした。彼の作品に一貫して流れているのは人間への憎しみです。おそらくは、三島が、書きたいことを書きたいように書いたのだと思われる小説、『禁色』の一節をご覧ください。

『あいつら! あいつら!』『御休憩三百五十円の連れ込み宿で天下晴れて乳繰り合うあいつら! 寝ぼけ眼でせっせと子供をふやすあいつら! 日曜日の百貨店の大棚ざらえに子供連れで出かけるあいつら! 一生に一度か二度、せい一杯の吝くさい浮気をたくらむあいつら! 死ぬまで健全な家庭と健全な道徳と良識と自己満足を売り物にするあいつら!』

こんな普通のことで憎まれるのならば憎まれる方としてはどうしようもありません。憎む方がおかしいのだと考えるほかないでしょう。しかも三島はこのようなことを書いた小説を憎むべきあいつらに売りつけました。たいていの読者は小説を自分の都合のいいようにしか読まないので、書きようによっては何を書いたって平気ですが、売りつけるのは難しいですよ。

人間への憎しみに満ちた作品を人間である読者に売りつけるという離れ業を、戯曲『只ほど高いものはない』に見てみましょう。

「私はひでという怪物的女性に、自己に満足した人間という醜悪であるべき人間類型の、奇妙な美化、こっけいな英雄化を企てたつもりなのである。」(上演される私の作品ー『葵上』と『只ほど高いものはない』、新潮文庫『鹿鳴館』に自作解題として収録されているものより)

これは戯曲です。生身の人間によって演じられるものです。ひでは主役であり、力と人気のある最も優れた女優によって演じられるでしょう。観客は人間の望ましい姿としての英雄的な女性に感動するでしょう。三島はそれを醜悪なものとして描いたのです。自己に満足した人間は醜悪でしょうか。人間は人間として自己に満足せずに生きられるのでしょうか。人間として自己に満足することは、当たり前のことであり、望ましいことではないでしょうか。ともかく三島は醜悪だと思いました。それを敵として戦いました。彼自身が人間である以上、勝ち目のない戦いでした。彼自身が人間である以上、自分自身を憎むことにならざるを得なかったのです。

小説人間欲目次 第二部第二章 『絹と明察』