ミコアイサ daibutsusanさんより
オシドリ 新井さんより
オオハシシギ(たぶん) 新井さんより
アオサギ(長草)「daibutsusan」さんより
モズ「daibutsusan」さんより
エゾビタキ「kojirou」さん(http://kojirold.hp.infoseek.co.jp/)より
キアシシギ「daibutsusan」さんより
キアシシギ「daibutsusan」さんより
ハクセキレイ「daibutsusan」さんより
アオサギとアオアシシギ「daibutsusan」さんより
ムクドリの水浴び、ほか「daibutsusan」さんより
ハマヒルガオ、ほか
ナンジャモンジャ 「満開のライラック」さんより |
干潟の野鳥観察のすすめ1、自然観察のすすめ(1)いい趣味以上のものがある「ご趣味は」 「自然観察です」 「いい趣味ですね」 その通り。自然観察はいい趣味ですよ。しかし、私はそれ以上の何かがあると思います。 (2)人間が生きるとは自然観察することだった桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る 「万葉集より」 愛知の県名の語源となった年魚市潟を歌ったこの歌は、万葉集の中でもよく知られた歌で、いい歌だとされています。でも本当にいい歌でしょうか。短い中で「鶴鳴き渡る」を二回も繰り返しています。たいした内容のないつまらない歌ではないでしょうか。 何か分からないのですが、私はいい歌だと思います。胸に響いてくるものがある。それが何かはよく分からないんですが。 季節は冬です。鶴がいる頃だから。そして冬の昼間はなかなか潮が引きません。現在では、時計があります、カレンダーがあります、潮見表があります。それでも満潮から干潮の間、いつから干潟が現れるかはわかりません。 干潟が現れたかどうかを知るために、人間には鶴の観察が必要でした。 そして、潮が引いたなら、食べ物が手に入ります。貝が食べ物として重要だったことは、貝塚により現代にまで知られています。 この歌に歌われているのは御馳走の喜び。潮が引いた、それはつまり御馳走、そんなことは当たり前。鳥は今でもそうですよ。 だから、この歌には、干潮と御馳走が直ちに結び付かない現代人の心をも打つものがあるのだと思います。 このように、古来人々は日々の糧を得るために絶えず自然を観察していました。知識の集積と分業の発展が多くの人間を自然観察から開放しましたが、自然環境から食べ物その他を得ているということは、少しも変わっていません。 人間が生きるとは、自然観察することです。 (3)人間の体は自然観察に適している走れるけれどチーターにはかなわない人間、泳げるけれどイルカにはかなわない人間、空が飛べない人間。 人間の体は何に適しているのでしょうか。 よく見える目は、よく聞こえる耳は、器用に動く手は、多くの情報を処理し記憶する大きな脳は。 何に適しているのでしょうか。 自然観察です。 (4)人間は地球の新米、先輩に学ぶ必要がある地球の長い歴史の中で、進化により新たに出現した種は、多かれ少なかれそれまでの生物により築かれた均衡を乱すでしょう。乱された均衡は、年月の経過によりさらにすばらしい均衡へと導かれるのです。 環境破壊、それは人間に特有の性質ではなく、新たに出現した種により常に引き起こされてきたことです。 人間は地球の新参者であり、まだ種として完成されていません。それは、人間が地球の生物の中に安定した地位を築いていないことから明らかです。 それぞれがそれぞれの繁栄を図る生物同士の競争により結果として成就されてきた均衡は、人間による意識的なよりすばらしい均衡にとって代わられるでしょう。 ただ、それにはもっと時間が、それから、生物がどのようにしてこの地球で均衡を保ってきたのかを知るための自然観察が必要です。 道端に咲く小さな花でさえ、人間より長い時間をこの地球で生きてきたのですから。 2、野鳥観察のすすめ(1)生き生きしている、美しい、適度な数、地球規模の生活、季節の利用鳥を見るのは楽しいよ。 どんなに脳が悲観的な考えを持ったとしても、健気に鼓動を続ける心臓のように、鳥はいつも活発に動き回り、あらゆる絶望が浅薄だと教えてくれます。 優れた視覚を持つ鳥の美しさは目の喜び。優れた聴覚を持つ鳥のさえずりは耳の喜び。 広い地球の様々な環境にはそれぞれの鳥が暮らしています。 空を翔る翼を持つ鳥は、地球規模で動き回ります。もしも渡り鳥がいなかったら、鳥の食物となる小動物や果実が、一年中同じくらいある南国では、繁殖期以外には餌があまり、冷たい氷に閉ざされる冬のある北国では、夏に餌があまるでしょう。 季節によってすみかを変える渡り鳥は、あまった餌を上手に利用し全体を豊かにします。 渡り鳥の存在がこの地球のすばらしさをどんなに増していることでしょうか。 それならば、同じように人間の存在が、この地球のすばらしさを増すことだって、できないことであるはずはないのです。 (2)恒温動物→育む旅人の 宿りせむ野に 霜降らば わが子羽ぐくめ 天の鶴群 「万葉集」より 鳥は人間を含む哺乳類と同じ恒温動物です。恒温性は、地球の気候が変わり、寒い冬がやってくるようになったことに対する適応として獲得された性質だと考えられています。 恒温動物だったら、寒い冬でも活発に活動できるよ。 そしてそれは意外な変化をもたらしました。 体温が一定に保たれていることを前提として形作られている恒温動物の体は、体温の変化に弱く、著しい体温の低下はすなわち死です。恒温動物でも体の小さな個体、生まれたばかりの赤ん坊や雛は、体積に比べ表面積が大きいので冷えやすく、自分ひとりでは体温を維持することができない。だから羽ぐくまなければならない。 海亀の母親は涙を流して卵を産みますが、孵った子亀は一人で海に帰ります。 一方、カルガモの雛は歩けるし、泳げるし、自分で餌をついばむのですけれど、けっして母鳥のそばを離れません。 寒くなったら背中に昇って羽毛に埋もれなければならないのですから、翼の下に潜り込まなければならないのですから。 恒温動物の生存においては、親(必ずしも遺伝学上の親である必要はないのですが)がこの面倒を見ることが絶対条件です。 恒温動物はある一定期間必ず親と子が一緒に暮らします。 体温を保つためにはじまった親子の同居は、動物の存在そのものを根底から変革しました。 親と子が一緒に暮らさない場合、親が子に伝えられるものはDNAしかありませんが、もしも一緒に暮らすなら、DNAを介さずに直接情報を伝えることができるのです。逆から言えば、親から受け取る情報なしには子は育たないのです。 DNAという制約から自由になった情報は、繁殖能力を越えて広がり、世代交代に要する時間を要せずに広がり、進化の速度はギアチェンジしたように速まりました。それは人間において最大に達しています。 人間が人間として生きるためには、親、家族、社会その他から受ける情報が決定的な役割を演じるということ、赤ん坊を羽ぐくまなければならないということ、そしてそれらが寒さに負けない温かい体を持つようになったときに始まったということ、言ってみれば当たり前のことであり、当たり前であるがゆえに看過されがちなことであり、現在及び未来の人間にとって重要な課題として取り組まなければならない(私はそう考えています)ことを、羽ぐくむ鳥は教えてくれます。 3、干潟の野鳥観察のすすめ(1)生産→消費→分解→生産自然界の均衡は、植物が生産し、動物が消費し、微生物が分解し、分解の結果生じた物質が新たな生産の材料となるという循環により成立しています。 干潟に群れる水鳥の豊かさは、干潟が自然のゴミの集まる場所であることによっています。 一方、人間の世界では、企業が生産し、家庭が消費し、分解の担い手がいません。そのため、生産の材料を自然界から奪ってくる、分解されないゴミを自然界に放置するという二点で自然界に悪影響を及ぼしています。 自然界から何を取ってくるか、何を返すか。自然の循環をさらにすばらしいものにする取り方返し方があるはずです。人間以外の生物は皆そうしているのですから。 干潟はそのお手本となってくれるでしょう。 (2)数、種の多さ、棲み分け、箱庭、一望のもとに干潟の野鳥の魅力は、まずその数の多さ、それから種類の多さです。数の多さは干潟の生態系の豊かさに、種類の多さはその豊かさを争わずに受けられるように発達した棲み分けによっています。 ケイソウ等のプランクトン、ゴカイ、小さいカニ、大きいカニ、小さい魚、大きい魚、これらの鳥の食べ物となる生き物にそれぞれ対応した種がいます。潮の干満により時々刻々と変化する水深に合わせて、潜る鳥、飛び込む鳥、逆立ちする鳥、足の長い鳥、足の短い鳥がいます。 ハマシギを食うハヤブサの隣に、ゴカイを食うハヤブサがいます。干潟は自然の世界の箱庭のようで、世界のありようが一望の下に見渡せる場所です。 また、長距離の渡りをするものが多く、南から渡ってきた鳥が、北へ帰っていく鳥が、この地で一年を過ごす鳥が混在しています。世界に開かれた窓として、ここにいながら地球全体を感じることができます。 干潟の野鳥観察は面白いよ。 表紙 |