第二部 三島由紀夫の死

終章

三島は人間が嫌いだと思っていました。そして三島の小説を読んだ者はもうすでに誰も理性や表面的な意識においては人間を愛せないでしょう。行き着く先が死か狂気だと分かっていても。しかし、人間は生きているのだから。明日も生きていくのだから。何とかしなければなりません。三島がひっくり返した現実と小説とをふたたびひっくり返して、三島が描いた小説とは違う現実を取り戻さなければなりません。そのために人間欲は発見されました。人間の中の内なる自然、先の見えない明日に向かって平気で生きていく呑気さを頼りの杖として。三島が憎んだ人間は、人間そのものではなく、人間欲にとらわれた人間であるに過ぎないのだと。嘘でも思い込んでください。

「本当のことを話してください」

三島に問うた青年は一体何が知りたかったのでしょうか。そもそも彼は誰なのか。

三島がまだほとんど無名の青年だったころ、一人の文学者に会いに行ったことがありました。太宰治です。三島は『荒野より』に登場する青年のように侵入したわけではないけれど、状況はよく似たものです。

「僕は太宰さんの文学はきらひなんです」

三島はいきなりそう言ったのでした。

「そんなことを言ったって、かうして来てるんだから、やつぱり好きなんだよな。なあ、やつぱり好きなんだ」

これが太宰の答えです。

そのとき太宰は見たはずです、不安に怯えた青年の姿を。そして太宰の文学は、このような青年にこそ好かれるものだったはずです。このような青年に嫌われるのならば、誰に好かれようが誰に褒められようがもう何の意味もないじゃないですか。うそばかりついていた太宰は、他人も自分と同じようにうそつきだと考えていたでしょう。自分の文学が嫌いだなんてうそに決っています。でももしかして本当だったら。いやいやうそだろう。でもひょっとして。幽霊になった太宰は不安定な青年の心と体を繰り、かつての青年、三島に問います、本当のことを話してくれと。

人間欲の満足が得られない場合の対処の方法の一つに、人間欲そのものを軽蔑し嫌いになる、というものがあります。それが三島の採った方法でした。だいたい人間欲には嫌われる理由が充分あります。別の方法にしゃにむに人間欲の満足を求めるというものがあります。成功しないでしょうけれど。太宰の採った方法です。人間欲の満足を求める太宰の文学を嫌いだなんて言っておきながら、ちゃっかり人間欲の満足を手に入れて澄まして大作家になってるなんてどういう了見なんだよ。えっ? 説明しろよ。説明。本当のことを言えよ。

「きらひです」

太宰は『人間失格』で人間欲について「人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたようなものがあるような気がして」と書いています。『人間失格』の主人公が、(太宰が、としてもいいかもしれませんが)人間欲に身も心も乗っ取られて、人間欲の化身として、あらかじめ間違った欲望の、この世に存在しない満足を求めて滅びるしかないのは、彼が現実から切り離されている度合いが大きいためです。それは小説の第一部に描かれる少年時代の挿話、空腹を知らなかったという話によく表されています。人間欲に捉われた人間の常として、他人の評判ばかりを気にし、小説そのものよりも小説の評判に心の大半を占められていた太宰は小説をけなされると大いに弱りました。他人の評判の寄せ集め以外に自分というものがないのですから、それは自己存亡の危機です。しかもけなした相手が志賀直哉、たいした小説を書いたわけでもないのに、太宰が七転八倒片手倒立をしても手にすることのできない人間欲の満足を、どんぶり茶碗にてんこ盛り、思う存分喰い散らかしている志賀直哉、本当のところはどうであれ太宰からはそう見えていた志賀直哉です。太宰は『如是我聞』で「あの者たちの神を撃て。それは家庭である」と、志賀攻撃をしましたが、いかんせん、ねがうそつきでええかっこしいなのでここでもうそをつきました。「それはお金である」とすべきだったのです。人間欲はお金によって支えられています。幸福を買うことはできないが、不幸を紛らわしてくれるというお金によって。太宰はそれを知っていたはずです。でなければ『人間失格』の最後に唐突に出てくる「あのひとのお父さんが悪いのですよ」は書けるはずがないのです。『暗夜行路』に苦悩がないように、『人間失格』にも苦悩はありません。苦悩なんて歯の痛みと同じで当人以外には痛くもかゆくもなく、ないに等しいものですから。『人間失格』にあるのは貧乏です。うちに銀行もあるような金持ちの家に生まれた太宰の貧乏です。現在の富の多くの部分は分業による生産力の増大によっています。このために現在の人間は人間欲の満足に欠かせない自分は他の人々にとって有用な人間であるという確認を市場で得られる金銭によって得なければならなくなりました。太宰の苦悩の始まりです。そしていつか手段は目的と化し、お金があるだけで満足するようになってしまうでしょう。

お金の問題を語らずに、人間について語ることができるのは娯楽小説だけです。文学は経済を語らなければならない。

小説人間欲目次 第三部 資本主義の終わり 序章